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今回の起点となる平泉駅
平成23年 画像の現在の駅舎になりました。 |
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駅のすぐ南側にある踏切から、駅方向を見てみます。
平泉駅は現在相対式ホーム2面2線の駅ですが、かつては島式ホームで、3番線が存在していました。 画像中央部分のスペースに3番線がありました。 |
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反対方向 一ノ関方面を見てみます。 |
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独自検証(?)によると、画像の正面の木に向かって、
砂利採取線が延びていたハズ・・・。 ですが、それらしき痕跡は見当たりません。
それもそのはず・・・
下の画像を見ていただきたいのですが、1962年(昭和37年)の航空写真には、かすかに軌道の跡と
確認出来る(!?)形状が見つけられますが、1968年(昭和43年)の航空写真では、すでに田んぼとして
区画整理され、痕跡を見つけられない部分が多くなっています。
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1962年(昭和37年)の航空写真
かすかに曲線が伸びているのが確認出来ますね。
マウスオーバーで線を表示 画像クリックで拡大します。 |
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1968年(昭和43年)の航空写真。
平泉駅付近を除いて、痕跡が消えています。 |
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そして現在のの航空写真。(Yahoo!地図より)
平泉駅東側に住宅が建ち、走破困難な箇所がいきなり・・・
仕方がないので、住宅部分を飛ばし、 ←の画像赤い廃線部分へと移動します。 ※ マウスオーバーで表示します |
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上の画像で示した赤い線の場所まで来ました。
画像中央部少し上の民家のところから、平泉駅を眺めます。
砂利採取線は、画像左の民家を通っていたものと推察しています。 |
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上の画像から、少し北上川方向へ進んだ場所からの駅方向です。
緩やかなカーブです。 |
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反対、北上川方向を向いて撮影下画像。
ここを道なりに進んで行きます。 |
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画像には映っていませんが、両脇は農地でした。
現在は休耕しているようです。
現在立っている場所よりも、1.5m程下に地面があります。 言いかえれば、やはりここは鉄道の築堤という事でしょう。 |
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この先、画像の車からハウスに向かって線路が
施設されていたと思われます。
ここで築堤も途切れるので、画像中央部の信号
国道4号線 柳之御所へと移動します。 |
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国道4号線 柳之御所交差点付近から 北上川河川敷を撮影。
マウスオーバーで表示される赤い線が、廃線跡と思われる場所になります。
下に降りて歩いてみます。 |
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国土交通省・平泉町の事業でこの場所は整備されています。
当然のことながら!?廃線跡は確認できない状態でした。 |
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ですが、せっかく来たので、辿ってみます。 |
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それらしきものは・・・
ありませんね・・・ 緩いカーブは鉄道的なとも思いますが、後年の整備で誕生したものだと思われます。 |
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上の画像に映っている車の位置で、反対方向を見てみます。 正面の橋と左の堤防との合流地点が 柳之御所交差点です。 |
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再び、先へと進んでみます。 |
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独自の下調べでは、このあたりで線路は途切れていたはず。
残念ながら、何もなく終わってしまいました。
今回の旅はこれにて終了になります。 |