廃線の旅 -つれづれ-


東北本線 平泉駅 砂利採取線


東北本線 平泉駅は明治31年(1898年)5月28日に開業しました。。
一ノ関~盛岡間が開通してから、8年後になります。
言わずと知れた、世界遺産「平泉」の最寄り駅になります。

さて今回の探訪は、世界遺産めぐり・・・ ではなく、かつてここから分岐していた
砂利採取線の跡を辿る内容になります。

はっきりと何年から何年までという情報がなく、詳細不明ですが、
いつものごとく「Yahoo!」地図と過去の航空写真から!

探訪箇所付近の地図-1947年航空写真より-   赤:東北本線  緑:主要道路  黄:砂利採取線



上の画像で黄色で示した砂利採取線と思われる線を現在の地図に重ね合わせたものが↓

探訪箇所付近の地図-Yahoo地図より-





それでは早速現地に赴いてみます。

今回の起点となる平泉駅

平成23年 画像の現在の駅舎になりました。
駅のすぐ南側にある踏切から、駅方向を見てみます。

平泉駅は現在相対式ホーム2面2線の駅ですが、かつては島式ホームで、3番線が存在していました。
画像中央部分のスペースに3番線がありました。
反対方向 一ノ関方面を見てみます。
独自検証(?)によると、画像の正面の木に向かって、
砂利採取線が延びていたハズ・・・。
ですが、それらしき痕跡は見当たりません。

それもそのはず・・・
下の画像を見ていただきたいのですが、1962年(昭和37年)の航空写真には、かすかに軌道の跡と 確認出来る(!?)形状が見つけられますが、1968年(昭和43年)の航空写真では、すでに田んぼとして 区画整理され、痕跡を見つけられない部分が多くなっています。
1962年 1962年(昭和37年)の航空写真

かすかに曲線が伸びているのが確認出来ますね。

マウスオーバーで線を表示
画像クリックで拡大します。
1968年 1968年(昭和43年)の航空写真。

平泉駅付近を除いて、痕跡が消えています。
現在 そして現在のの航空写真。(Yahoo!地図より)

平泉駅東側に住宅が建ち、走破困難な箇所がいきなり・・・

仕方がないので、住宅部分を飛ばし、
←の画像赤い廃線部分へと移動します。
 ※ マウスオーバーで表示します
上の画像で示した赤い線の場所まで来ました。

画像中央部少し上の民家のところから、平泉駅を眺めます。

砂利採取線は、画像左の民家を通っていたものと推察しています。
上の画像から、少し北上川方向へ進んだ場所からの駅方向です。

緩やかなカーブです。
反対、北上川方向を向いて撮影下画像。

ここを道なりに進んで行きます。
画像には映っていませんが、両脇は農地でした。
現在は休耕しているようです。
現在立っている場所よりも、1.5m程下に地面があります。
言いかえれば、やはりここは鉄道の築堤という事でしょう。
この先、画像の車からハウスに向かって線路が
施設されていたと思われます。

ここで築堤も途切れるので、画像中央部の信号
国道4号線 柳之御所へと移動します。
現在 国道4号線 柳之御所交差点付近から
北上川河川敷を撮影。

マウスオーバーで表示される赤い線が、廃線跡と思われる場所になります。

下に降りて歩いてみます。
国土交通省・平泉町の事業でこの場所は整備されています。
当然のことながら!?廃線跡は確認できない状態でした。
ですが、せっかく来たので、辿ってみます。
それらしきものは・・・
ありませんね・・・
緩いカーブは鉄道的なとも思いますが、後年の整備で誕生したものだと思われます。
上の画像に映っている車の位置で、反対方向を見てみます。
正面の橋と左の堤防との合流地点が
柳之御所交差点です。
再び、先へと進んでみます。
独自の下調べでは、このあたりで線路は途切れていたはず。
残念ながら、何もなく終わってしまいました。

今回の旅はこれにて終了になります。
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